「あまのじゃく」に考える
2015年05月30日
満足度★★★★
付箋数:24
「若い頃は乱読で、どんなものでも読みたいと思っていた。
ぼくはビジネスセクターにいましたので、ビジネス書なども
ずいぶん読みました。でもこのごろは、自分が読むべき本と、
読まなくてよい本がはっきりとわかるようになってきた。
“あ、この本は自分あてに書かれているな” とか、
これはあて先が違うということがわかる。
それに本を読むのにはけっこう時間がかかるから、
残りの人生で、何千冊も読めないわけです。」
本書の著者、平川克美さんは読書に関してこのように述べています。
では、平川さんはどのような基準で、読む本と読まない本を
振り分けているのでしょうか?
「ぼくが読まなくていい本というのは、そこに思考の痕跡が
ないような、ただ “海外ではこうですよ” とか、
“こうすればうまくいく” というようなことが書かれた本です。」
つまり読むべき本は、作者が考え抜いた思考の過程が
わかるような本です。
「ぼくにとっていい本というのは、比喩的に言うなら、
自分が知っていると思っていた町だけれども、その場所に立って
眺めていたら、全然知らない町の光景が見えてきた、
というような経験をさせてくれるものです。」
本書は平川さんが長年考えて、積み上げてきた思考の道筋が
書かれていますし、常識を問い直す新たな視点を与えて
くれますから、読むべき本だと言えます。
本書は、平川さんが以前経営していた会社の部下に対して、
「考えるとくこと」について語り下ろしたものを元に
まとめた本です。
平川さんは、本書で「あまのじゃく」に考えることをススメます。
これは、ひねくれ者になることでも、嫌われ者になる
ことでもありません。
「知的なあまのじゃく」になることをススメているのです。
本書では「知的なあまのじゃく」について、かなり噛み砕いた、
野球ファンの例をあげて説明しています。
「うんと平たく言えば、巨人ファンが集まっている場所で、
“おれはアンチ巨人だ” と言うのはあまのじゃくでは
ないということですね。(中略)
みんなが巨人だと言っているときに、 “そもそも野球って何なの?”
“ファンであるということは、どういうことなの?” というような、
異なる次元でもう一度考え直してみるというのが
あまのじゃくとしてのあり方なのです。
つまり次元を一個繰り上げるってことなのです。」
確かに本書で平川さんが試みていることは、根本の問い直しです。
そのような考えを常に持っているので、平川さんは時流に流されず、
本質を見極めることができるのでしょう。
第1章 「自力で考えない人」は、生きていないも同然
第2章 これからどうなるのか? 「働くこと」と「生きること」
第3章 頼りになる知性、ならない知性
第4章 「正義」よりも信ずるに足ることはあるか
第5章 「人と違うこと」を考えるのではなく、
「人と違うように」考える
本書は読むことで、即効性が現れるような本ではありませんが、
これからの人生に大きく影響する「考えること」について
ヒントを与えてくれます。

本書の中で一部読み飛ばした箇所があります。
それは平川さんが、1992年製作のアメリカのコメディ映画
『ヒーロー 靴をなくした天使
ダスティン・ホフマンさんが主人公のコソ泥の常習犯役を
演じているそうですが、少し映画の筋が書いてある部分を読むと、
これがなかなか面白うそう。
本書の私が読み飛ばした箇所には、何となく映画のネタバレが
書いてありそうな気がします。
私はこの映画を見ていないので、見てから飛ばした箇所を
読もうと思います。
Miss a meal if you have to, but don't miss a book.
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