活かす読書

読んだ本を、どう活かすか? セミリタイヤしたikadokuが、週に5冊、ビジネス書・自己啓発本・投資本・ベストセラーなどの本を紹介します。


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日本経済の心臓 証券市場誕生!

満足度★★★
付箋数:22

オトバンクの上田さんより献本いただきました。
ありがとうございます。

  「わが国において有価証券が誕生し、
  その有価証券が初めて公設の取引所で
  売買されたのは今から約290年も前のことに
  なります。ちょうど世界では、清朝がチベット
  を征服し、ヨーロッパではようやく海賊の
  黄金時代が終わろうとしていた時期にあたり、
  米国独立の約50年前にあたります。
  そしてその日本初の公設取引所、世界最初の
  公設の証券先物取引市場でもありました。」

歴史の授業でも習う「堂島米会所」。

江戸時代、第8代将軍の徳川吉宗によって、
享保13年(1730年)に大阪堂島に開設された
米の取引所です。

堂島米会所は、当時の日本最大の米市場で
あるだけでなく、現在の証券取引所が持つ
種々の制度と遜色のない制度を持つ、
世界初の整備された先物取引市場でした。

なぜ、世界に先駆けて先進的なデリバティブ
市場が日本で誕生したのでしょうか?

その背景には、いくつかの理由があります。

まず、主食でもあり石高制のベースにも
なっていた米は、売買で移動させるには
重くてかさばることから、米切手と呼ばれる
証書の形で取引されていました。

そして米は、収穫量が天候で左右されるので、
価格が変動しやすく、米切手を発行する
各藩にとっては、それが大きな財政上の
リスクになっていました。

その価格変動リスクを抑えるために
行われていたのが、「延売買」と呼ばれる
米切手の取引でした。

延売買は、米切手の売買代金を全額払わず、
残額を一定期間後に支払うという契約をする
取引で、指定された交換期日が来るまでの
期間中は、米切手を転売することができました。

これ延売買が原型となり、堂島米会所で取引
されたのが「帳合米商(先物契約)」でした。

帳合米商は、決済するまでのは決済代金の
3分の1程度の保証金を米会所に差し入れれば
よく、現物取引より少ない資金で大きな商いを
することが可能でした。

いわゆる、レバレッジをかけた取引が可能
だったのです。

堂島米会所で決まった米切手の価格が
全国の米取引の価格として用いられるほどの
商品取引における影響力を持っていました。

それと同時に、蔵屋敷の中にある米よりも
ずっと多くの米切手の取引を行うことで、
各藩の財政を手当するという金融機能を
果たしていました。

さて本書は、日本の証券市場の歴史を
綴った本です。

堂島米会所での米取引が日本の証券市場の
夜明けとするならば、本格的な証券市場が
誕生したのが、明治11年に東京の兜町に
設立された東京株式取引所と大阪の北浜に
大阪株式取引所が誕生したときです。

本書では、このときに活躍した4名の人物に
注目します。

1人目は、「日本資本主義の父」と呼ばれる
渋沢栄一さん。

2人目は、洋銀取引から若くして財を成し、
「鉄道王」と呼ばれた今村晴之助さん。

3人目は、巨万の富を築き、「天下の糸平」
と言われた田中平八さん。

4人目は、大阪経済界の重鎮の一人で、
「鉱山王」として知られた五代友厚さんです。

本書では、こうした魅力あふれる人物と共に
日本の証券市場の誕生と発展の歴史が
詳細に語られている、読み応えのある一冊。

豊富なカラー写真も掲載されていて、
当時を知る資料としての価値もある本です。

この本から何を活かすか?

かつて株券売買立会場では、「手サイン」
によって売買されていました。

立会場内では、声がよく聞こえなかったことと、
移動が混雑で大変だったので、証券会社名、
銘柄名、数字の3つをを表すために
手サインが使われていました。

現在はコンピュータで売買されるようになり、
手サインも不要になり、株券売買立会場も
閉鎖されています。

本書を読んで、証券マンがひしめき合って、
手サインで取引していた頃の東京証券取引所の
熱気を懐かしく思い出しました。

Miss a meal if you have to, but don't miss a book.

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